その1: 留学の動機・・・・息切れ、目まい
さてさて、始まりの物語です。
そもそもなぜ留学したのか?
今となっては思い出せません(笑)
初めての留学は、大学2年から3年にかけての2年間。
カンザスのAtchisonという小さな町にあるカトリック系の大学に交換留学をしました。
実はなにを隠そう、それ以前に海外に行った経験がなく、いきなりの留学。
大学では英文科で、英語も好きでした。
が、
が、
その後の息切れ、目まいについて書く前に、やっぱり動機を思い出したのでちょっと書いておきます。
実は・・・・ここだけの話なのですが・・・・共学に行きたかったのです。
中学、高校と6年間女子校で過ごし、大学は是非共学に!とはりきって受験しましたが、
見事女子大(のみに)に合格。
共学への残された道は、留学しかありません。
私の通っていた大学からアメリカへの交換留学先は3校。
うち、共学なのはたった1校。
しかもそこだけTOEFLの基準が他校より高い・・・。
燃えました。勉強しました。
夢の共学へ向けて!
もひとつ思い出した、ほんとの動機。
それは、「ひとりでどれぐらいやっていけるか」という自分への挑戦でした。
東京で生まれ育ち、中高は同じ学校。大学も自宅通い。
親も友達も彼もいる、この温室から抜け出して、自分は果たして生きていくことができるのか、
それを試すのはいましかない、という切迫感に似た気持ちがいつも私の中にありました。
大学は自宅から45分。
「一人暮らしをしたい」というよりも「留学したい」というほうが、親を説得しやすかったのです。
「向上心」を楯に見事親を説得、TOEFLもなんとかクリアで、めでたく留学の道が開かれました。
留学決定後、帰国したばかりの先輩にコンタクトをとり、
「勉強は一日10時間以上」とか、「最初の3ヶ月が勝負」とか、「ジーパン2インチ分太るよ」とか、「帰国後は教務課と戦え(単位を一つでも多く認めてもらうため)」とか、
その頃の私にとってまったく想像もつかない別世界の話を
ワクワク20%、ドキドキ80%の割合で聞いていました。
所属していたラクロス部に休部届を出し、
彼と結婚の約束をし、
友達と「最後だから」という名目で遊びまくり、
日本食を食いだめし、
これから追加されるであろうジーパン2インチ分のダイエットを試み、
一応英会話学校に通ったりもし、
着々と留学準備を進めていきました。
そして成田。
見送りにきてくれた両親、友達、彼・・・私を愛するこれらの人々の顔を一気に見たその瞬間、初めてこの「勢い余った」決定を大後悔したのでした。
「自分なんて試す必要全然なし!」
が、時、既に遅し。
こうしてじーなは夢の共学生活へ旅立ったのでありました。
というわけで、息切れ目まいについてはやっぱり次回。